「取り逃した!」考察

句会。皆、でも少し「取り逃した」って「言い過ぎ」かも(思うのはアリだし、絶対に取り逃すけど)。初期に僕が「句会でモテる」みたいなギャグとして「取りのがした!って言うと玄人っぽい」と話したけど、それはつまり「やや揶揄的(句会の滑稽な一面)」なんですよ。

特に表彰(などという儀式も本来「ない」新しいもの)の場で「言う」のは、いい結果を出した相手を称揚したい気持ちの顕れだろうけど、取り逃しちゃダメ(ちゃんとよくみろ)という「建前」もあるはずだ。

それでも「取り逃した」は、反射的に口をついて出ることでもある(建前は建前でしかなく、反射は反射だ)。その際、言い方のチャームや説得力が今度は問われる。前回アッテスルの少佐の「伝わった!」とか、その人のキャリアとかもね。とか思ったよ。

「取り逃した」を「言う」のを懸念するのは、すでについた○の価値が揺らいでいくからです。「同じくらい良くて選べなかった」ならまだしも(それも公には言わなくていい)、「選をみてよさが分かった=取り逃した」は、あまり「言わない」建前で。(凡)

@nande_show 「取り逃した」→そういえば、崖さんが言うと絶妙な良さがありました。(真摯さと軟派さの間のような。)つまり真似できないですね。(林)

@ruska_kukka 崖さんはそういうことに命かけてるから。彼は「存在がメタ句会」だから。(凡)